芥川龍之介の歴代彼女たち:文豪の恋愛遍歴と作品への影響

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はじめに

芥川龍之介は、近代日本文学を代表する作家の一人です。しかし、彼の作品の背景には、複雑で多様な女性関係があったことがわかっています。本日は、芥川の歴代の彼女たちについて、詳しく見ていきましょう。

初恋の相手

芥川の初恋の女性は、長らくの間、謎に包まれていました。しかし近年、芥川が所蔵していた本に挟まれた押し花から、初恋の相手の存在が明らかになりました。

押し花が語る物語

日本近代文学館の調査により、芥川が1914年に22歳の時に所蔵していた本の中から、押し花が発見されました。この押し花は、芥川が同年7月12日付で書いた手紙の中でも言及されていたことから、初恋の女性との交流の一端を物語るものだと考えられています。

残念ながら、この女性との恋は家族の反対により実現することはありませんでした。しかし、この体験が後の芥川の代表作「羅生門」に描かれたエゴイズムの原体験につながったとも言われています。

格差から生まれた苦悩

当時の社会における身分の違いは、芥川の初恋を阻む大きな障壁となりました。芥川家は身分の低い相手との結婚を認めず、結局、二人は別れざるを得なくなったのです。

この出来事は、芥川に大きな精神的ダメージを与えました。しかし、それが後に「羅生門」の中で描かれた人間の心の機微な部分の表現につながっていったと考えられています。

結婚相手・塚本文

芥川の妻となったのは、中学時代の親友の縁で知り合った塚本文でした。二人は1916年に婚約を交わし、1919年3月に結婚しています。

結婚までの道のり

芥川と文は、1919年3月に芥川が大阪毎日新聞社に入社したことを機に、鎌倉に新居を構えて同棲生活を始めました。しかし、その前年の1918年には、芥川が知的で新しいタイプの女性に惹かれて不貞を重ねたことから、一時期婚約関係が危うくなったこともあったようです。

当時の文の様子は「芥川龍之介という青春の時と、龍之介の明智を愛した日々」と書かれており、波乱万丈の恋愛過程があったことがうかがえます。

結婚生活の二面性

芥川と文の結婚生活は、必ずしも円満なものではなかったようです。芥川は夫婦生活を「遊び半分」のようにとらえていたとの指摘もあります。

一方で、芥川は震災直後に書いた「歯車」などの作品では、文をモデルにしたヒロインを登場させており、文への愛情の一端がうかがえます。このように、芥川と文の関係には二面性があったことがわかります。

不倫相手・秀しげ子

芥川が既婚者同士の不倫関係を持った女性が、歌人の秀しげ子でした。この関係は芥川がノイローゼを深刻化させる一因となったとされています。

執拗な付きまとい

秀しげ子は、芥川につきまとい続け、自宅にまで押しかけるなど、ストーカー化した行動に走ったといわれています。この執拗な付きまといが、芥川の心身を蝕み、ノイローゼを深刻化させてしまったのです。

当時の芥川の手紙には「狂気のような思ひ」と書かれており、秀しげ子からの束縛に苦しんでいた様子がうかがえます。

中国行きで終息

この不倫関係は、芥川が1921年に中国へ旅立ったことで終息したと言われています。しかし、この出来事が芥川の心身を大きく蝕んだことは間違いありません。

秀しげ子は、後に芥川の自死の一因を「破滅的な恋」と評しています。この出来事が芥川の生涯に大きな影を落としたことは確かです。

最後の恋・片山廣子

晩年の芥川が出会った女性が、歌人で翻訳家の片山廣子です。廣子は芥川の作品の中にも登場し、二人の親交は手紙のやり取りから始まりました。

軽井沢での出会い

芥川と廣子の出会いは、1924年の夏の軽井沢での偶然の機会でした。二人は友人を介して知り合い、その後手紙のやり取りを通して親交を深めていきました。

この出会いを機に、廣子は芥川の作品にも登場するようになります。「或阿呆の一生」の中にも、廣子をモデルにしたと思われる女性が描かれています。

詩で返された恋心

廣子は芥川に手紙で恋心を打ち明けましたが、芥川から直接の返事はありませんでした。しかし、その代わりに芥川の歌25首が雑誌「明星」に掲載されました。

この歌の中には「越しびと」の詩があり、著者はこれが廣子への返答だったのかもしれないと推測しています。つまり、芥川はプラトニックな恋愛を詩の形で表現したのかもしれません。

まとめ

このように、芥川龍之介の生涯には、様々な女性との出会いがありました。初恋の相手からはじまり、妻の文、不倫相手の秀しげ子、そして最後の恋人とされる廣子に至るまで、それぞれの女性が芥川の人生と作品に大きな影響を与えていたことがわかります。

特に、不倫関係にまでエスカレートした秀しげ子の存在は、芥川の心身を蝕み、結果的に自死に追い込まれる一因ともなったと考えられています。一方で、廣子とのプラトニックな関係は、晩年の芥川に創作の源泉となったようです。

芥川龍之介は、文学と恋愛が密接に関わり合う生涯を送った作家だったと言えるでしょう。これらの女性との出会いが、芥川の作品世界に大きな影響を与え続けたのです。

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