ヒカキンの歴史 大人気YouTuberの生い立ちや年収を徹底解説!

ヒカキンの歴史

今回は「ブンブン ハローYouTube!」の挨拶でおなじみの日本を代表するYouTuber「ヒカキン」の歴史を振り返っていきます。

今やヒカキンという名前を聞くと、「YouTubeの人」と大半の人が答えるはずです。

日本のYouTube界を盛り上げた第一人者であるヒカキンはどのような生い立ちで今に至るのか。

そして、気になる年収や本名なども徹底解説していきたいと思います。

それではさっそくヒカキンの歴史を振り返っていきましょう!

目次

ヒカキンの実績

ヒカキンがこれまでに成し遂げてきた実績をご紹介します。

※2023年2月20日時点の情報です。

YouTubeチャンネル登録者:計1800万人以上(4チャンネル合計)
チャンネル総裁数:150億回以上
推定年収:5億円以上
事業:YouTubeタレント事務所uuum株式会社ファウンダー兼最高顧問

実績を見ると一目瞭然、レベルの違いが分かります。

日本トップYouTuberはやはり登録者・再生数ともにトップクラスです。

ヒカキンの生い立ち

ここからはヒカキンの生い立ちについて見ていきましょう。

まずは簡単にヒカキンの情報をご紹介します。

本名:開發光(かいはつ ひかる)
生年月日:1989年4月21日 (年齢 33歳)
出身地:新潟県妙高市
職業:YouTuber・ビートボクサー・UUUM株式会社所属のファウンダー最高顧問
身長:174cm
血液型:O型

ヒカキンはどのような幼少期を過ごしていたのかを詳しく解説していきます。

ヒカキンの幼少期時代

ヒカキンの幼少期時代は、大人しく教室の中でも目立つタイプではなかったようです。

雪の多い地域出身(新潟県)ということもあり、小学校時代の夢は「プロのスキージャンパーになってオリンピックに出場すること」でした。

小学校の時にテレビで見ていたバラエティ番組「力の限りゴーゴゴー!」のコーナーである「ハモネプリーグ」の影響でヒューマンビートボックスに興味を持つようになります。

ヒカキンの学生時代

ここからはヒカキンの学歴について紹介していきます。

小学校:妙高高原町立妙高高原南小学校(現・妙高市立)
中学校:妙高高原町立妙高中学校(現・妙高市立)
高校:新潟県立新井高等学校

小学校から高校まで地元新潟で過ごしています。

高校在学中である2006年12月にYouTubeにて「HIKAKIN」チャンネルを立ち上げます。

海外で活躍するビートボクサーの動画を視聴するために始めたが、自身のビートボックスを動画にすれば誰かに見てもらえるのではと考えて、動画投稿を始めることになります。

2008年に高校を卒業した後、そのまま上京し東京都内のスーパーで勤務しながら生計を立てていくことになります。

ちなみに、ヒカキンの働いていたスーパーは「吉池」です。

当時のヒカキンは自分の銀行口座を持っていなかったため貯金はなく、親から渡された2万円のみで上京した。(2万円で状況は凄すぎる)

働いていたスーパーには社員寮があり、住む場所に困ることはなかった。仕事終わりは社員寮の浴室や自室などで安いマイクを使ってビートボックス動画を何回も撮影し、月1・2本ずつ動画を投稿していくことになります。

ヒカキンのYouTubeの歴史

ここからはヒカキンのYouTubeの歴史を振り返っていきます。

今でこそYouTube界のトップと言える存在ですが、ヒカキンにも下積み時代があります。

これからYouTubeを始めようと思っている人は、ヒカキンのマインドを参考にしてみてはいかがでしょうか。

「Super Mario Beatbox」で日本国内月間アクセス1位を記録する

上京から2年ほどは特に大きな出来事もなくバズることはなかったが、再生されるほとんどが海外からで日本ではYouTubeそのものの認知度がありませんでした。

そんな苦境の中、ヒカキンは2010年に「Super Mario Beatbox」で日本国内月間アクセス1位を記録します。

この動画が海外でも話題になり、アメリカの「CBS News」のトップニュースに取り上げられ、投稿した24時間後に20万回再生を記録しました。

その後の勢いは止まらず、1週間後に100万アクセスを記録し、ついにYouTube側からYouTubeパートナーのオファーが来るようになりました。

この成功体験こそがヒカキンがYouTubeを続ける大きな意味になっていると言える。

YouTube NextUp 2011」のコンテストで落選する

2011年6月に日本で「YouTubeパートナーフォーラム」で当時、YouTubeで生計を立てていくことを考えてはいなかったが、ミシェル・ファンの演説に心を動かされ本格的にYouTube活動をしていくことを決心する。

その後、「YouTube NextUp 2011」という受賞者は10組で賞金が200万円のコンテストが開催されヒカキンにチャンスが訪れます。

当時、ヒカキンはチャンネル登録者数が日本で1位だったため、受賞することができると思っていたが、結果は落選となります。

この屈辱から国内外のYouTuberの動画制作を研究し、サムネイル・タイトル・動画編集スキルなどを真似していくことにした。

すると、3ヶ月ほどで会社員時代の給料を超えていたそうです。

ヒカキンはスーパーの仕事を退職しYouTuberになる

ヒカキンは2012年にスーパーの仕事を退職し、動画広告で収入を得て生活する「YouTuber」になります。

会社員時代については、「好きなことを仕事にできていなかった事から辛かった。」と語っている。

しかし、ヒカキンは「自分はただのサラリーマンではなく、動画を作って多くの人に見られているんだ」という意地のおかげでスーパーの仕事を続けることができたそうだ。

ヒカキンはシンガポールでエアロ・スミスと共演する

ヒカキンは2013年5月シンガポール滞在中にエアロ・スミスとの共演を果たします。

15000人規模の会場で「ウォーク・ディス・ウェイ」を共に演奏しました。

その後も、アリアナ・グランデなどの有名な海外アーティストたちととの共演をしています。

アリアナ・グランデとのコラボ動画はよく覚えています。

YouTuber事務所「UUUM」を設立しヒカキンはファウンダー兼最高顧問になる

2013年6月ヒカキンはYouTuber事務所「UUUM」株式会社を設立しヒカキンはファウンダー兼最高顧問になります。

YouTuber事務所「UUUM」の概要は以下の通りです。

設立:2013年6月
UUUM /CEO:梅景 匡之(2022年6月から)
資本金: 7億8,714万円
従業員数:572人(2022年5月末時点)
クリエイター数:4000人以上

現在はYouTube事務所に所属しないYouTuberも増えてきていますが、今でも「UUUM」はYouTuber事務所の中では最大手です。

ヒカキンの登録者数が1000万人突破する

2021年9月10日、ヒカキンの運営するチャンネル「Hikakin TV」の登録者数が1000万人を突破しました。

ヒカキンの2021年の活躍は凄まじく、以下の活動を行いました。

・コロナ禍のためマスク着用を呼びかける
・東京都知事の小池百合子と対談し、コロナ対策に関する質問をして注意喚起を行う
・新型コロナウイルスの医療支援として1000万円を寄付する

また、ヒカキンはチャンネル登録者1000万人達成時に行っていた生配信でのスーパーチャットの全額を「新型コロナウイルス 医療崩壊を防ぐための支援金」に寄付し、チャンネル登録者が1人増えるごとに10円募金していくと発表した。

まとめ

ここまでヒカキンの歴史を振り返ってきました。

田舎の雪国で育った少年は今や日本代表するYouTuberです。

自分の私利私欲のために生きるのではなく、困っている人たちへの助けを惜しまないヒカキンの姿勢に憧れる子供たちも多いのではないでしょうか。

現在の仕事に満足のいっていない人は、ヒカキンさんのように自分の好きなことにチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

ミレログではこれからも気になる歴史をご紹介していきます。

もし気になる歴史があればぜひチェックしてください!

それでは今回はこの辺で!!

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